トップ  写真集トップ     函館東高生徒会誌・グラビア集1990年代2
函館東高生徒会誌・グラビア集1990年代bP
 函館東高生徒会誌「ひんがし」のグラビアを集めました。
1991.年3月10日発行、表紙:本多勧史
特集:50周年を迎えて
―終わりに―
 50年という歴史をもつに至った東高は、様々な人間模様の宝庫といってもいいかもしれない。身近なことから挙げれば、“親子で同窓生”、“東高生の東高の先生”である。東高の在学中にある先生を見て教師を志し共にこの東高で生徒育成に励まれてきた先生も少なくない。授業中に年長の先生から“今をときめく○○先生も生徒の頃は―”と話が飛び出して生徒の爆笑をかうこともあるようだ。それだけ50年の歴史は長く、また東高を愛してやまない先生、また生徒が多いのである。
 広いキャンバスに「自由」の伝統、建学の精神、より高きへの志向「青春の志」―。東高のもつこれらの伝統は50年の中で確実に受け継がれてきている。―緑につつまれたこの青雲台を経た卒業生は1万8千余名。そしてまた1年、東高での良き思い出を胸に460余名が翔いてゆく― 「ひんがし27号」より
1.31―その日に何が起ったのか? byばふばふ・どんどん
〔第2部青春座編〕
 タイトルを知った時、正直言って「やめてくれ、ウエストサイドがこわれる」と思いましたね。でもこれ訂正。雰囲気が出てましたよ。T市先生の「俺の婚約者に手出すな!! 」は迫力の演技だったし、Q先生の英語は実に流暢で、「ニューヨーク・・」のT馬先生は相変わらず渋かった。新人のD橋先生はなぜかジェット教団の踊りを指揮っていた。踊りといえば、さすが本職のO橋先生はお上手で、相手役のS畑先生も本物に負けず劣らずかっこよかったけど、M先生(銃弾に倒れる演技は見る者の涙を誘いました・トニー)のトウナイトがよく聞こえなくて残念。でもやっぱり、きわめつけは「憎しみでなく憎しみで殺したのよ!! 」のM上先生(白い下着姿もチャーミング・マリア)ですね。みんな、ビデオ借りてきて正しいセリフ知っていてね。「ひんがし27号」より抜粋
1992.3.10発行、表紙:ゴトちゃん、タマちゃん、さっちゃん
入学式:秀・Jr まだ雪解けの水が歩道のわきを流れている頃、学校では新入生が体育館に集まって、校長先生の挨拶を聞いている。慣れぬ担任の先生や校内の雰囲気に包まれ、不安でいっぱいな反面、内心ワクワクしているような・・・・。そんな新入生達は、とてもみずみずしく、そしてすべてが真新しい高校生活3年間の第1日目を送っている。
 「これで遊べる」「これから人一倍勉強してやるぞ」「まーなんとかなるだろう」とか人それぞれの思いが、いつのまにか思い出に変わっていく高校生活の一時である。「ひんがし28号」より
球技大会 ビターなオレ 
 1年間の中の三大行事の一つ「競技大会」。この3日間はだれもが、超ウルトラスーパー、熱くなる日でもある。そう、オレも燃えていた。開会のセレモニー、みんなはそれぞれのユニフォームに身をまとい、選手宣誓の後、試合が始まる。真っ白な雲が浮かぶ青空の下で、オレたちは闘った。1日目、2日目と、時がたつのは早くすぐに最終日になってしまった。女子の応援がちょぴり嬉しかった。結果は上々であった。オレは満足だった。
 たとえ優勝でないにしても、クラスが、いやみんなが一つになってくれた、そして、涙と汗の味と、友情の味が混じったほろにがい青春の味を知ることができた。
 オレはこの3日間を忘れない。決して。「ひんがし28号」より
予餞会:P・N泥棒 素敵な会でした。思わず涙しちゃいました。ステージドリルに始まり、寸劇、カラオケ、そして青春座。どれをとっても素晴しかったです。吹奏楽の皆さん。よくラッパを吹きながら歩けますね。感動しました。演出もグッドでした。ちなみにドライアイスで煙をだしていたのはこの僕です。寸劇に出演した皆さん。自分を捨てましたね・・・。青春座の先生達。今年もなってくれましたね。流石です。もう何も言うことがありません。「ひんがし28号より」
Copyright (C) 2007-2009 函館東高資料集 All Rights Reserved. ひんがし'90年代2 サイトマップ