トップ 函館東高生徒会誌・グラビア集1980年代前半
函館東高生徒会誌・グラビア集1970年後半
 函館東高生徒会誌「ひんがし」のグラビアを集めました。
1977.3.10発行、表紙:2−G山口早苗月
東高の顔、行燈行列」参照
予餞会 いじけ虫
 やってきました予餞会。市民会館において3年生をおん出すための一大行事。3年生のみなさまに、今までのうらみつらみをコロッと忘れるくらい楽しんでもらおうと、そのために、わっちら予餞会実行委員は、朝もはよから?あっちゃこっちゃとかけずりまわったのでございます。委員長のおじさんも、進行係のおにいさんも、み・んながんばっちゃって、いつもヒマだったのはわっちだけ・・・。
 もんずまんず、最高の呼び物は青春座による“白鳥の湖”!この冬話題のキングコングと二分する!・・・かな・・・?ロックの人も落研の人も、それから・・・字数の関係で全部は書ききれませんが・・・あしからず。とにかくみんな猛練習をかさねてステージにのっかったのであります。
 当日・・我々東高生は、そのすばらしい舞台に感激の涙を流したのであります。きゃあ。その感激をかみしめて東高生が夢と希望を持って世界にはばたくであろう。「ひんがし13号」より
1978.3.10発行、表紙:氏家啓雄
格技大会:昔、行われていた男子の柔道大会『格技大会』格技大会出場経験者である佐野先生にインタビューしました。@ルールについて 7人制、クラスから軽量級、中量級、重量級を各2名づつ、無差別級1名を選別し級別にほかのクラスと対戦し、勝ち越したクラスが勝つというものだそうです。Aどこでやっていたか? 青雲記念館の特設リング!!B心境は? エビソード 「私は戦うチャンピオンだ!誰の挑戦でも受ける」「燃える闘魂」を心に暗示をかけリングに上がっていたそうです。負けたら人権を失う危険性があり最悪でも引き分けが課せられ義務で1本1本の勝負が真剣だったそうです。佐野先生は悪役のイメージをつくられたこともあったそうで場内から飛んでくる罵声が盛り上げ、闘争心に火をつけたそうです。「ひんがし39号」特集 東高行事と問われたら・・・より
宿泊研修 だるま
 宿泊研修は、我々1年生が入学して、最初の大きな行事だった。2泊3日の予定で恵山に行き、まだ会ってから間もない仲間達と宿を共にし、「クラス内外の親睦を深める」というねらいで行われたわけである。それゆえになかなか楽しいプロク゜ラムがたくさん盛り込まれていた。
 しかし、私は必ずしもそれらのプロク゜ラムを期待していたわけではなかった。むしろ私は、自分との同室の仲間達との生活の方が楽しみであった。初めて会ったような人達と過ごすより少しでも知っている仲間との方が楽しいに決まっているではないか。それよりなによりも、私のような小心者には、その方が性に合っているのである。
 しかし、この3日の間に友人ができなかったわけではない。他のクラスにも顔なじみの人が数人できた。この時のうれしさは今でも覚えている。
 私はこの小旅行を終えて、なるほど、親睦を深めるというねらいは、私に限っては、一応成功ではなかったのかと思うとともに、これで私の小心も少しは治ってくれればと願っていたのだが、8ヶ月たった今でも私の小心は、あいかわらず治っていないのである。「ひんがし14号」より
1979.3.10発行、表紙:2−D佐々木善憲
カルタ大会 からふだのひろ
 カルタ大会の3日間、青雲記念館の熱気でムンムン・・・。各クラスの選手は、それぞれ応援団をひきつれて、・・いや・・クラスメートに見守られて入場。始まるやいなや、一枚取るたびに、応援団・・イヤ・・クラスメートが“わあっ”一致団結して、もうすごいのよね・・・。キャアキャアさわいでる人もいれば、無言で札をさげる人や、札をとばして楽しんでいる人もいたのです。けど、どんな人も、札に手をのばす瞬間は、みなさんりりしいお顔。さすがクラス代表。今大会、注目したのは、試合には参加しているものの、自分の札には目もくれず手もくれず、「乙女の姿〜」で、相手側に体ごととびこんで、大満足で終らせた○○君。あの根性は、ぜひ見習いたいものですね・・・。「ひんがし15号」より
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