トップ 写真集   函館東高生徒会誌・グラビア集1970年後半
函館東高生徒会誌・グラビア集1970年前半
 函館東高生徒会誌「ひんがし」のグラビアを集めました。
1971.3.10発行、表紙:坪田年弘
●対面式:入学式の次の日に行われる生徒会行事。まだ何も知らない1年生が初々しい。また各部のデモンストレーションによる勧誘は、生徒の英知を競い、どのくらいインパクトを与えられるかによる部活の存続にかかってくる。勧誘は押し売りに近い場合もある。「ひんがし30号」ひんがし辞典より
●入学・対面式 1年 諸氏
 ドキドキ、ワクワクしながら広大な敷地の中の風通しの良い校舎に足を踏み入れ、校舎とは正反対のダブダブの新しい制服で会場の青雲記念館へと向かった。まだ、時間前だと言うにの、もう会場は後方の席しか残っていないほど。どんな人が同じクラスなのかと心配そうに見まわす顔、顔、顔。みんな緊張した面持ちでいたけれど、心の中では他のどんな人がどんなにガリ勉に見えたことか。
 重々しい雰囲気の中に校長先生の声が響く。教頭先生が若々しいのでびっくりしたのも、この時。
 そのあと各クラスに別れて担任の先生のお話。単位数T・などという耳新しいことばを聞き、ますます東高生としての実感がわいてきた。
 それから数日後の対面式。はるか遠くの体育館から聞こえる野獣の声(?)ならぬ2、3年生の声。体育館へ入ったただもうびっくり。2、3年生の前を通ったときにはさすがに1年生は顔を赤らめていたとのこと。    「ひんがし7号」より
合唱祭:合唱祭は1979(昭和54)年まであり、毎年11月1日に体育館で全30クラスが課題曲と自由曲を朝から歌いっぱなしだったそうです。各クラス振り付けなど工夫をこらし、3年生にとって最後の行事だったと言ってました。生徒の代表と先生で審査して、学年での賞と全体での賞があったみたいです。高市先生が3年の時、全員皮ジャンで登場し、先生はリーゼントで伴奏したそうです。
 どうして合唱祭はなくなったのか。理由は3つあって、1つは「行事がありすぎて勉強に集中できない」2つ目は「衣装が奇抜だったり、パファーマンスの度が越えて仮装大会のようになってしまった」最後に「フォークソングやアニメを歌って合唱でなくなった」でした。 「ひんがし39号」『特集 東高行事と問われたら』 より
1972.3.10発行、表紙:3年 桝谷はるみ
 予餞会(よせんかい):3年生を送る会。吹奏楽部や下級生による寸劇や先生による青春座など、他の学校にないほど、充実した行事。「ひんがし30号」ひんがし辞典より
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