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今 も 残 る 函 館 東 高 
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青雲記念館と信太郎池、夏には水が涸れても、今も水が溜まる。まるで東高の伝統のように。2009.4.26撮影
ひんがしの杜・信太郎池の謎 参照
上:第一グランドの木立2008.8月撮影、下:2003年7月24日発行「青雲時報第158号」より
☆植林計画
 3万坪の敷地を学校にふさわしい品格と風致を持たせ、各種教養や鍛錬に便なるよう理想的なる校地計画を立て、数年計画で実現するよう目下委員に命じて設計さしめつつあるが、先づ校地北西方面に前東面と同じ防風林を作る積もりで主として杉、椴松苗2千本ばかり植樹した。将来校舎改築などの際に役立つよう経済価値ある樹種5千本位植えたいと思っている。                                        
 「感謝・・・・・・杉苗800本 竹下巌氏、杉、椴タモ苗他600本 大塚一十氏、杉、椴、ナナカモド苗等600本 伊藤信義氏、右寄付贈リ受ク 衷心ヨリ感謝ノ意ヲ表ス」
                昭和17年5月26日以降「函館市立中学校(函館東高の前身)報」より 
かつての聖地、梅馥園、2009.4.26撮影
 当初梅津福次郎翁の篤志を顕彰し、末永くその徳をたたえようと「等身十二割大の半身像」を校庭に建立予定だった。『発議は「函館市立中学校父兄会」であり、実際の業務も同会と表裏一体の関係にある「梅馥会」によって進められたのであるが、「市立中学校建設の寄附を受けたのは函館市であるから、市も感謝の意を表することが適当と思料される」との建言が客れられ、名目上の建設者は函館市となっている』。ところが、下図の「胸像供出ニ関スル件」のとおり、北海道庁長官名で「極秘事項」として、この像を献納するよう書面で通告された。かくして函館市や梅馥会、父兄会の負担で『胸像の完成、校庭に設置の運びにまで至ったのであるが第一項記載のとおり、鋼鉄資源回収、献納運動に協賛、供出に至ったので結局金7千円は無駄な支出となり、本梅馥建立経費1,670円は全額梅馥会がこれを負担した』(梅津福次郎翁頌徳碑由来より)
信太郎池、樹木もこんなに大きくなった。
青雲記念会館、市立函館高になってもその名を残す。2008..8撮影
青雲記念会館落成 参照
初代校長岡村威儀先生の胸像
懐かしき木陰に―岡村校長先生の胸像除幕式、参照
青年の樹、2008.8撮影
1994(昭和19)年6月13日建立、梅馥園・頌徳碑(しょうとくひ=功績・徳行をほめたたえること) 「本校の礎を築いた3人の列伝」 参照
2009..4.26撮影。現在、解読できない。
原文は下記のとおりである。
「梅津福太郎翁ハ茨城県大田ノ人 若冠函館ニ来り雑貨商ヲ営ミテ刻苦励精克ク富ヲ積ミ 公共ノ為財ヲ散シテ惜マス
 本市立中学校開設ニ際シ率先建築総額ヲ寄附シ規模宏壮構造堅牢ノ校舎及チ成レリ玆ニ勤シテ永ク其ノ至徳ヲ頌フ」
昭和18年6月 岡村威儀職
          大田太書    

「東高」いつまでも…「青雲10期の会」記念植樹の表示板

 函館東高(2007年4月に函館北高と合併、現市立函館高)の第10期生でつくる「青雲10期の会」(山英昭会長)のメンバーは5日、市立函館高(函館市柳町11)敷地内にある記念植樹の表示板を更新した。木は、1985年に卒業25周年を記念して同会が植えたもの。2010年に迎える卒業50周年記念事業の一環で、参加者は「函館東高の校名を末永く残したい」と設置を喜んでいる。(2008.8.6函館新聞より)
                                             2008.8 撮影 
 
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