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1953(昭和28)年 函館東高修学旅行
所蔵の写真から紹介しました。詳細は分りません。日本教育旅行写真株式会社 写真部撮影とあります。
最初の写真のみ、函館新聞の写真。これは「はこだて市史編さん室だより 第8号」より引用させていただきました。
最初の先生の写真にはいたずら書きが見えます。これ以外のスナップ写真はなく、すべて集合写真。
今後、このような写真があれば、発表したいと思います。皆様の写真を提供ください。

 函館でも同年、公立高校などが戦後初の修学旅行を実施、函館東高校では一○月一六日、三年生二七一人中一一五人(四二%)が東京方面へ車中泊を含め、五泊六日の予定で旅立った。

 函館から東京までの道程は遠く、青函連絡船で青森まで約四時間四〇分を要し(後、洞爺丸海難事故などによる新建造で、約三時間五〇分に短縮された)特急や寝台列車もなく、青森駅から上野駅までは急行の三等車に揺られ、約一五時間の旅だった。

 昭和二八(一九五三)年三月二二日、函館市内各校のトップを切り、函館東高校二年生が春休みを利用し、三八八人中二四二人(六二%)が二班に分かれ、日光、東京、江ノ島、鎌倉、名古屋、大阪、京都など車中泊を含め八泊九日の日程で青函連絡船函館駅桟橋に集合した。着替えや旅行用具などを風呂敷に包むなど工夫しての旅立ちだった。

 この費用は一年生のときから積み立てた五二〇〇円、小遣いが二○○○円と決められていた。

 この修学旅行の第一班として参加した斉藤幸子さん(七一歳・八幡町在住)は「連絡船に乗るのは付属中学のとき、浅虫までの修学旅行でしたから、この時で二回目でした。

 現在は定番のコースでしょうが、東京では二重橋や丸の内のビル街などを散策、戦災で焦土と化した、と聞いていましたが、意外と復興していたのには驚きました。京都ではほとんど戦火の跡が見られず、古色蒼然と並ぶ寺社の戦後を感じさせない風格に感銘したものです。お土産に京都銘菓の『八橋煎餅』でも買ったのかも知れません…」と五四年前のクラスメイトと共に写っているアルバムを見ながら懐かしそうに話してくれた。  
                                          函館市史編さん室だより8号より(函館新聞の記事より抜粋)

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